ミシュランガイド二つ星レストラン
フロリレージュ
青山にある フレンチレストラン「フロリレージュ」 は、フレンチレストランと言えども、厳かで背筋がピリっとなってしまうような、クラシカルなレストランとは少し雰囲気が違い、黒を貴重としたスタイリッシュな空間。
そして、まず迎え入れてくれるのは、 広々としたオープンカウンター 。
「フロリレージュ」 という店名には 「美しい華のような詩から織りなされた一冊の詩集」 というコンセプトが込められていて、その1つ1つを紐解いていくと…食材の生産者、それで調理する料理人、それを楽しむお客様。それに留まらず、お店の食器類、さらにはデザイン・設計までを集めて1つの詩集として、レストランを作り上げています。
昨年、 TBS系列で毎週日曜よる9時に放送していた日曜劇場『グランメゾン東京』 。
この作品には、今までミシュランの星を獲得している、名だたる名店たちが撮影協力をしていましたが、今回は、平古祥平が主人公のParaviオリジナルドラマ『グラグラメゾン♥東京』~平子祥平の揺れる思い~ 最終話の撮影に密着‼
平古祥平と言えば、『グランメゾン東京』後半で、スーシェフとして尽力した若手シェフ。
『ミシュランガイド東京2020』で二つ星を獲得しているフレンチレストラン「フロリレージュ」での撮影です。
また、「フロリレージュ」と平古祥平との関係もどこか運命的にリンクをされていて……
そのお話はまた後ほど…
おなじみの割本。詳しくは第1弾をチェック!!
昨年12月29日に日曜劇場『グランメゾン東京』 は最終回を迎え、同日 『グラグラメゾン♥東京』 も最終回の配信を終えました。
(配信ドラマなので最終回を迎えても、Paraviをご登録いただければ、1話から期限なくご覧いただけます)
配信をご覧になった方は”ピン!”ときているかもしれませんが、この「フロリレージュ」での撮影は『グラグラメゾン♥東京』における、クライマックスのシーンの撮影でした。
撮影現場の様子をお届けする前に…
『グラグラメゾン♥東京』の最終話のあらすじをご紹介!
#11 平子祥平の旅立ち
ミシュランの表彰式から数年後の世界。
祥平(玉森裕太)と、その周りの人たちには、色々な変化が起きていた。
これは、そんなちょっと未来の話。
祥平のある1日の出来事である。
祥平は、買い出しに向かった先で、色々な人と出会う。
そこで、明かされていく数年前のそれぞれの今。
そして、祥平、美優(朝倉あき)、萌絵(吉谷彩子)は、偶然鉢合わせてしまう…
『グラグラメゾン♥東京』のチーフ監督・山室氏
『グラグラメゾン♥東京』 が クライマックスシーン を撮影しているということは、オリジナルの 『グランメゾン東京』 もまだまだ撮影真っ只中 。
前日も深夜にまで及ぶ撮影をしていたにも関わらず、翌日『グラグラメゾン♥東京』は早朝6時から撮影。
そんな中でも、キャストたちは、とっても元気に登場されましたが、スタッフたちは少し眠そう……
さらに…
冬の朝の撮影は厳しい!
陽が昇るのが遅いので、寒いのに加え朝6時でもまだまだ外は暗い。しかし、店内は陽の光が降り注いでいたい。
さて、どうするか…?
そこで、照明スタッフは 「擬似デイ」 と呼ばれる、建物の外から照明で陽の光を擬似でつくってあたかも昼間のように見せていました。
※逆に夜に見せたい時は暗幕を張り「擬似ナイト」と呼ぶそうです
柔らかい光は、降り注ぐ陽の光に見えますよね。
店外に出てきたので
お店の扉 に注目してみると…
「フロリレージュ」を舞台にした『グラグラメゾン♥東京』登場のレストランの店名です。
「ラ サンチュール ドリオン〜空にかかる三つの星 〜」
オリオン座の3つの星を総称して「オリオンのベルト」と呼ばれるそうなのですが、それをフランス語にしたという、”三つ星”にちなんだとても素敵な名前。
実はこのお店…
『グランメゾン東京』から数年後の世界で、祥平が独立したお店でした。
こちらの店外の看板は、美術スタッフが用意したもの。
もちろん、撮影当日にいきなり作れるものでもなく、「ロケハン」を行っています。
撮影日より前に、中枢スタッフたちが どのくらいの機材が必要か、店内の大きさや雰囲気、ドラマ仕様の飾り付けのための寸法 などを計るために撮影場所に伺います。
たった3時間の撮影でしたが、日数をかけて下調べをしているのですね。
そうこうしていると、外はすっかり明るくなっていました。
第1弾とは違い、監督が撮影モニターを見る場所は外。
冬は寒さとの戦い…
夏は暑さとの戦い…
写真の左にいらっしゃるのは「フロリレージュ」のマネージャー。
朝6時からの撮影に帯同していて、撮影のサポートをされていました。
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ご協力いただいたのは、マネージャーだけではありませんでした。
「フロリレージュ」のスタッフの皆さんが、なんと『グラグラメゾン♥東京』にご出演 されていました。「普段はあんなにドラマティックなブリーフィングはしないので…」と、少し照れ臭そうな表情。
スタッフの皆さんに仕込み時の撮影をさせていただいたので、よりリアルな描写になっていました。スタッフの皆さんが出演されたところで、 お料理の撮影に。
『グランメゾン東京』同様に『グラグラメゾン♥東京』でも料理は大事なキャスト。
料理のためだけの照明・飾り付け・カメラで撮影をしていました。
女優のように扱われる料理たちは、画面を通しても生き生きとキラキラ輝いてみえたのは、そのためだったのですね。
さらに料理だけではなく、盛り付けられる器のカタチや色もシェフとあらかじめ打ち合わせし、撮影時に下に敷いている色紙も何種類も撮影現場に持ち込み、その場で決めていました。
今回はお皿の色と「フロリレージュ」の雰囲気と合わせて黒い色紙で進められました。
それでは『グラグラメゾン♥東京』最終話で登場したレストラン「フロリレージュ」さんご提供のお料理たちをご紹介していきましょう。
- 経産牛のカルパッチョ サスティナブル
じゃがいも トリュフ サバのミルフィーユ ブルーチーズソース
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茄子とかにのファルス ブラックビネガーソース
スモーキースウィートポテト
美しく、斬新 。
そんなお料理たちからは、祥平の師匠である、尾花と丹後のエッセンスを感じます。
日曜劇場『グランメゾン東京』主人公・尾花がスーシェフをしていた「グランメゾン東京」。
この店の料理監修をされていたのは、13年連続三つ星を獲得されている、 「カンテサンス」 の岸田周三シェフでした。
そして、今回、祥平が独立した大切な 「 ラ サンチュール ドリオン〜空にかかる三つの星 〜」 として登場する「フロリレージュ」の川手寛康シェフは、独立される前は「カンテサンス」でスーシェフとして活躍されていたという経歴を持っています。
なんとも運命的な結びつきを感じますよね。
今回は撮影密着だけではなく、
川手シェフに単独インタビューの機会をいただきました。
料理の道について、
祥平のように駆け出しの頃の師匠とのお話、
お仕事への取り組み方や、今後の展望…
さらにはなかなかお聞きできない「ミシュラン」についてのお話まで伺うことができました。
ドラマよりもドラマ。読みごたえたっぷりのシェフのお話をぜひ、お楽しみください。
「フロリレージュ」
川手 寛康 シェフ インタビュー
ーParaviオリジナルドラマ『グラグラメゾン東京』の主人公・祥平のようにグラグラと悩んだことは?
僕の家庭は全員料理人なんです。物心ついた時から男連中が調理場に立つのは当たり前の風景で、僕自身も高校を卒業する頃には肉もお魚も普通に捌けちゃいました。
釣りも趣味なので、魚を獲って自分で料理をすることが普通の家でした。
調理科のある学校に入ってからも手先は器用な方なので、何でもできちゃう高校生でした。卒業して、レストランで勤めていくようになるんですけど、自分が「できるな」って思っていたことが、根本から否定され始めます。何もできない」から入って、一から勉強する子よりもショックが大きいんですよね(笑)。
「俺はできる!俺は何の魚だって捌けちゃうんだぜ」って思っている人間が、それを全てダメ出しされるところから、人生がリスタートしました。
初めのうちは、本当にやることなすこと全て逆効果。料理が好きだったはずなのに、作ることが怖くなってしまう、そういう精神的にも肉体的にも初めの3年間は追い詰められていました。すごく厳しいシェフでしたし、 料理人である前に、”人として”指導してくれるようなシェフだったので、料理人としてつまずくというよりも、人としてつまずいてしまって、それが本当にしんどかった。
人生で初めてこんなに悩んだり、人生について考えた時期はないんじゃないかと思います。19才でこの道に入ったので、22才になるくらいまでは、自分にとって大きな転換期になったと思っています。
ー乗り越えたきっかけは?
乗り越えたって言う感覚がないんですよね(笑)。
それが当たり前の感覚になっていって、”ちりも積もれば山となる”じゃないですけど、毎日の小さな積み重ねが、1年たち…2年たち…3年たち…なんとなく小さな山が見えてきた時に、小さな技術として身についている。それって、自分の身長が伸びているのに気がつかないのと同じくらい気がつかないことだと思いませんか?料理人の成長って気がつかないんですよ。「測ってみたら伸びてた」みたいな(笑)。
自覚がないような成長が日々続いていく中、初めてのレストランのシェフが独立する時、たくさんいる中から「一緒に独立しよう」と僕を選んで連れて行ってくれました。今までたくさんのスタッフたちとやっていたのが、そこで途端にポツンと1人になるんですね。「お前はここのセクションだから責任を持ってやれ」と言われるんですけど、意外とそこでスルスルっとできると「あ。意外と俺できるんだ」って自覚するようになります。
シェフの”ものさし”でしかないんですけど、「戦力として見れてもらえるような料理人になれたかな」というのは、その時に思いました。
体も丈夫で、心も丈夫だったのはすごく得でした。すごく辛い時期でしたけど、それでも物事を覚えたい気持ちが先行して、休みも返上していろんな研修をしに行っていました。ありとあらゆるレストラン、トップシェフと言われるような人がいるレストランに、どのくらい行ったかわからないくらい、休日に研修に行きました。
多分みんながみんなできることではないですよね。僕は、外に行くことがすごく楽しかった。いつものお店だと、毎日先輩に怒られ…シェフに怒られ…(笑)。怒られるというより、自分がいけないので指導してもらっているんですけど、それが外に行くと、ちょっとだけお客さん扱い(笑)。
なんでもタダで教えてくれる。それが僕は楽しかった。
そういった経験も踏まえて、次のお店に入ることになります。その頃には、なんとなく自分の東京での立ち位置というか、同年代の中で比べることができるようになってきていました。初めて自分の立ち位置が確認できたイコール、辛い時期をなんとなく抜けた時期なんじゃないかなと思います。
ーシェフの経歴を教えてください
高校を卒業してから、3年間「Q.E.Dクラブ」と言うお店で働いていました。そこのシェフが独立するので「オオハラ エ シーアイイー 」と言う西麻布にあるお店に一緒に移りました。そこに2年近くいましたが、フランスに渡りたく、フランスに一番近いお店を探した時、当時のトップレストラン「ル・ブルギニオン」さんに入社することにしたんです。3年程そこで二番(スーシェフ)をしました。スーシェフになるのも、普通の人よりもよっぽど早い段階でなってしまって、23歳でスーシェフになってしまいました。
「ブルギニオン」って、すごく二番が大事なお店なんですけど、すぐ二番手として、数ある先輩の中から僕を選んでくれて…そこから次の”ものさし”に測られ、半年間くらい辛い時期があり、二番として、どうにか仕事ができるようになった頃、フランスに渡ります。フランスに渡って1年と2〜3ヶ月して帰国し、「カンテサンス」に入ります。
「カンテサンス」に入る前から、実は岸田さんと知り合いでした。「ブルギニオン」の菊地シェフは、今でも毎年フランスに研修に行く、すごく珍しいシェフなんですよ。菊地シェフがパリの「アストランス」という当時二つ星のお店で研修をしていた時、そこの二番を岸田さんがされていたんです。その出会いから、岸田さんが日本に帰ってくる時に、よく「ブルギニオン」に顔を出してくれていて、ワイン会などを開いていました。シェフは料理を作らないので、二番の僕がその時は料理を作る担当でした。そうして僕も岸田さんと知り合い「帰ってきたら連絡ちょうだい」なんて話をしていて、フランスから帰ってそのまま今度は「カンテサンス」の二番になりました。それから独立し「フロリレージュ」と言うお店を出しました。30才でお店を出したので、独立してから10年くらいたちます。5年は南青山の方でお店を出して、それから今の表参道に移っています。
端から見れば、うまいこといっているのかもしれないです。でも、今でもそうですけど、自分自身そんな風に思ったこともないですし、常にいろいろな不安とプレッシャーとの戦い。僕は、みんなが描くような夢は持たないようにしているんです。”料理人になる”と言う漠然としたものしか持っていなくて、夢よりも、どちらかというと自分の目の前にある環境、与えられた仕事やプレッシャーをどう乗り越えるかの方が魅力的。夢を描くことに興味はなかったんです。だから「成功したね、成功してないね、うまくいったね、うまくいってないね」というのは、重要な問題ではないと思っています。
ー今、乗り越えたいことは?
いっぱいありますよ!今のお店をより良くしたいという気持ちはあります。
来年、お店をリニューアルしようと考えています。”世界に発信していけるようなお店を作れるか”と言うことが、目の前にある大きな壁かな。
アジアでトップ5に入っていて、ワールドでも60位に入っているので、ある程度のお客様たちは見てくれていますが、それは1つの結果であり、自分の中で納得しているかといったらそうでもないので、よりいい形で日本という素晴らしいフィールドを表現出来たらなと思っています。
ーシェフにとって料理とは
自分の人生をかけるべくある仕事かなと思います。
料理がなかったら、自分自身がこんなに幸せになれることもなかっただろうし、自分の料理を食べて、幸せになってくれる人が少なからずいる中で、”人に幸せを与える”ということは、社会のルールだと僕は思っているんです。自分さえよければ良いのではなくて、人に対して何かして、その人が幸せを得るということに自分自身が幸せを感じられることが、社会だと僕は思っています。
そういう仕組みがダイレクトに伝わる仕事が、僕にとっては料理でした。
親父や親戚が料理人だったことにも感謝しています。
ー今まででいちばん心を動かされた料理は?
その時その時でいろいろあります。
最初のレストランの料理は、腰が抜けるほど凄いと思っていました。そこの大原シェフは、今も現役で、調理場をほとんど1人でやっているんです。人生で一番仕事ができるシェフだと僕は思っています。その方の料理もすごかった…。
岸田さんと会った時もそうです。「山羊乳のバヴァロア」って『グランメゾン東京』で出てきました?初めて食べた時、「頭ぶっ壊れてる!」と思いましたよ(笑)。だって、フランス料理じゃない。鴨の料理を食べた時も「この人、イっちゃってる」と思いましたし…
衝撃的な出会いはその時代時代にありました。一番近いところは、やっぱり岸田さんの「バヴァロア」!シェフとして衝撃的でした。その当初は、僕の中のフランス料理ではなかった。今となってはフランス料理ですけど(笑)。あれはちょっとやりすぎ!
ここ最近ではペルーかな…そこの郷土料理がショックというわけではないけど、心に残った1つの料理だったかもしれない。
デンマークにあるレストラン「noma(ノーマ)」が蟻を使った料理を出していますが、あの原型になっているようなお料理でした。例えばイモ虫と蟻と野菜たちを煮込んだ料理とか。ペルーでは蟻は調味料として普通に使われています。当たり前に郷土料理として提供されるんです。
僕たちが奇をてらって出すようなものではなく、その料理から文化すら感じました。彼らにとってタンパク質はイモ虫などから摂ることが重要で、僕たちが「ご飯食べたい」と思ったら、コンビニに行って30秒で買えるような世界とは違い、彼らはタンパク質のために、イモ虫を一日かけて採りに行くんです。
料理が出てきた時、どちらがいいかというわけではないけど、こういう文化も素敵だなと思いますよね。
モノをつくる、とりに行く、生きていく…そういうことが、すごく重要な文化なんだなというのを、まざまざと見せつけられました。そういう料理は、心の中にストックされていきます。
ー「フロリレージュ」のオープンキッチン
実は、オープンキッチンにしようとしてオープンキッチンにしたわけではないんです。
当初、システムから作ろうと思いました。自分は料理人ですし、動線を短くして、あったかい料理はあったかいうちに出したい、冷たい料理は冷たいうちに出したいし、サービスマンに料理の説明をしてもらわなくても、自分で料理のバックグラウンドをダイレクトにお客様にお話したいし、お客様の喜びを料理人が共有してもいいんじゃないかなと思ったんです。
そうすると「ワンシーンとしてレストランを作った方がいいんじゃないか」となりました。表は表の仕事だけ、調理場は調理場だけじゃなく、みんなが助け合いながら作り上げていくのが本当の”メゾン(店)”なのではないかなと思いました。
家族であり”ワンチーム”。それをどうやったら作れるかなと思って作っていくと、カウンターキッチンになった…そんな感じです。
ー「フロリレージュ」のサイトを拝見すると”TEAM”というページがあるのに納得です
そうです。もちろん店の中だけではなく、食器類やグラスを作ってくれているのも日本の作家さんですし、テーブルや椅子、食材だってそう。そういうモノを全て”チーム”として捉えています。「フロリレージュ」という店名も、”詩歌集”という意味があります。レストランに対するいろいろな人たちの想いを”詩”と捉え、いろいろな人たちの気持ちが折り重なってできたものが「レストラン フロリレージュ」。なので、そういういろいろな人たちを”ワンチーム”として、作っていきたいという気持ちからこういうスタイルにしています。
ーミシュランガイドによると
「サスティナビリティにも関心を寄せており」という一文が入っていますが…
「サスティナビリティ」というのは、日本語で言うと「持続可能性」。それは、あまりにも広い意味を持っていますが、その中で、自分が何に興味を持っていて、何に問題を感じ、何に取り組んでいくかとかではなくて、「サスティナビリティ」もある意味、ルールだと思います。解決しなければいけないというルールに乗っかっていると僕は考えています。僕たち個人の問題ではなくて、世界共通の問題意識。みんなが持たなければいけない、人間としてのルールの1つだと、僕は思います。
ー「フロリレージュ」で特にやっている部分は?
世界中で「サスティナブル」の講習会もやっています。
世界で一番フードロスを出している国は日本なんです。料理人として携わっている部分では、フードロスには取り組めるチャンスが多いですよね。お店を作るというオーナーの視点では、例えば店の壁に白い部分がありますよね?これは間伐材の一部なんです。通常であれば、マスキングをして使いますが、繋ぎ合わせれば美しさが出るじゃないですか。
あとは、床を見てください。1つ1つのタイルの色が別々で、不揃いじゃないですか?これも廃材たちを集めているんです。それをブロックにすることによって美しく見える。
「サスティナブル」は何にでも取り入れられます。僕が変わらず料理教室をずっとやっているのも、それも間接的な「サスティナブル」だと思っています。食を大切にするという気持ち、モノを大切にすることを伝えるためです。
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価値のないモノに価値を与えるのも料理人だと思うし、いろんなことができると僕は思っています。けれど、オーナーでもあるので、全部が全部というわけにもいかないですが、等身大の義務は果たせているような気はします。
ー今年の「ミシュラン」調査員…気付きました?
全然わからない!
特に今年は全くわからなかった!教えてもらえません?来る日がわかったら(笑)。
「カンテサンス」もうちも、定番メニューがあるのですが、毎回調査員はこの定番メニューを食べているのかな…と思ったり、「たまには違うのを食べて欲しい!」と思うこともありますよ(笑)。コントロールできないのが、心苦しい。
4年前に一度「この人そうかな?」と思う時もありましたが、ここ2〜3年はわからない!本当に教えてもらいたい!熱心に写真撮られていたし、そうかなあとか思いました。でも、これが正解かわからないですよね(笑)。調査員にはサービスマンが多いと聞くので、そういう雰囲気かな…とか。わかる人はなんでわかるんだろう!
ーミシュランの存在
東京のミシュランガイドと、今はたまにしか買いませんがパリのミシュランガイドも、ここ20年分くらい持っています。
フランス時代は、ミシュランガイドがボロボロになるまで、たくさんのガイド掲載のレストランを食べ歩きしていました。
自分が載っていなかった3年間のガイドは、ビニールがかかったままにしています。わざわざビニールカバーがかかったミシュランガイドを探して、「コレは開けないでおこう」と……ああ!こういう話しているだけで嫌な思い出が(笑)。その3年間のガイドは、自分を戒めるために飾ってあります。
今でも忘れない…あの日、ミシュランガイド発表の会場に行った先輩に「僕の名前を探してください」とお願いしたんです。そしたら電話がかかってきて「やっぱりヒロ、載ってなかったよ」と…。自分がガイドに載ってないってわかった時、水曜日でお店が休みだったんですが、伊勢丹の地下のおにぎり屋さんのベンチの前で3時間くらい座っていました。「嫁さんにどの面下げて”星なくなった”って言えばいいかな」と考えたら家に帰れなくて。
そこから「もう一回頑張ろう」と思いました。けれど、それはミシュランのためじゃなく、お客様のために。それから今の場所に移転して、一つ星がついて、二つ星もすぐにつくようになりました。
だから、ミシュランの星を失ったシェフたちは、僕に電話をかけてくるんですよ。「ヒロ…お前どうだったの?どういう気持ちだったの?」って。話ができる人は、意外と少ないんですよね。そこから返り咲く人も少ない。あの電話の時は、本当に泣けた…。
しかも、星をなくした時、日本のミシュランに理由を聞きに行ったんです(笑)。聞きに行く人は今まであまりいなかったみたいですが、編集長が出てきてお話しました。
わかります?この気持ち(笑)。とにかく…「勘弁してくれよ!」って言っておいてくださいね!
ーそんなミシュラン、実はタイヤメーカー。シェフご自身はドライブなどは?
車は持ってないですけど、レンタカーはします。
海外でも乗りますし、国内でももちろん。運転するのが好きなんです。
モータースポーツは、モナコに行った時に、観たことはありますが…僕はラリーの方が好きですね。
ー日曜劇場『グランメゾン東京』ご覧になりました?
現状、まだ観ていないです。全部録画はしています。
料理のドラマはどうしても観れなくて…ゾワゾワしちゃうんですよ(笑)。
「こんなんじゃないだろう料理人って!」と思うことが多いんですよね、今までのドラマ。けれど、今回はみんないいって言っているんですよね。知り合いの料理人さえ「いい!」って言っています。だから勇気を持って観てみようかなと。妻が全部録ってくれてるんです。「本当にコレ観なくていいの?」って毎週言われるんですけど(笑)。なので消さないでもらっています。
豊かな表情で特に笑顔が印象的な川手シェフ。
これからの日本のフレンチを牽引するシェフに、貴重なお話を伺える機会をいただけたことに感謝します。
岸田シェフは ”水産資源 ”について最終話で問題提起をされていましたが、
川手シェフも ”サスティナブル”は人間としての当たり前のルール とおっしゃっていました。
今回のドラマでも登場した「フロリレージュ」の 経産牛のカルパッチョ は、読んで字の如く出産経験がある母牛の肉を使ったお料理。
「経産牛は味が劣る」と、今までは避けられていましたが、川手シェフはこのお肉を見違えるほど美味しいお料理に変身させて提供しています。
シェフだからこそできる取り組みを。
私たちも等身大で身近なことから意識をしていくだけで、
その先の未来で、変わらず日本の豊かな食材で美味しいお料理を食べ続けることができるかもしれません。
ランチの仕込みが始まるまでの、 通常はオープンしていない朝6時から9時の間の時間をお借りしての撮影。
撮影隊はいつも通り、駆け足での撮影となりましたが、「フロリレージュ」さんでの撮影のおかげで、『グラグラメゾン♥東京』史上、最もエモーショナルなシーンに。
ドラマの世界とリンクし、関係性や歴史さえも感じることができたワンシーン。
お料理の おいしさ、美しさはさすがの品格ですが、
オープンカウンターでのスタッフたちとのコミュニケーションや
シェフの人柄が滲み出ている、オープンマインドな店内は、心身ともに癒される空間でした。
川手シェフがたくさんの想いを紡ぎながら作り上げたレストラン。
ドラマでは、祥平が大切な人たちとの想いを紡いでいました。
皆さんも大切な人との時間を紡ぐために「フロリレージュ」はいかがでしょうか?
シェフ : 川手 寛康 (かわて・ひろやす)
1978年 東京都出身
料理人一家に育ち、高校卒業後、2000年、恵比寿「Q.E.Dクラブ」「オオハラ エ シイアイイー」を経て、02年より西麻布「ル・ブルギニオン」にて菊地シェフに師事。04年よりスーシェフ。06年渡仏。モンペリエ「ジャルダン・デ・サンス」にて働き、07年帰国後、「カンテサンス」にてスーシェフを務める。09年独立。
フロリレージュ (欧文 : Florilège)
「ミシュランガイド東京2020」に掲載
住所:東京都渋谷区神宮前2-5-4 SEIZAN外苑B1
TEL:03‐6440‐0878 / E-mail : florilege@aoyama-florilege.jp
URL:https://www.aoyama-florilege.jp
営業時間:12:00~13:30(L.O.) / 18:30~20:00(L.O.) 水曜定休日
2020年4月24日掲載(取材日:2019年12月20日)
※記載の内容は掲載時点の情報です。(ミシュランガイド公式リストbyクラブミシュランは、現在、終了しております。)
※全世界のミシュランガイドセレクション(レストラン・ホテル)の閲覧・検索はミシュランガイド公式ウェブサイトをご利用ください。