ミシュランの歴史 EPISODE.04
1898年、世界最古のユニークな企業キャラクターが誕生
1894年、リヨンで開催された万国博覧会にミシュラン兄弟が訪れた時のこと。弟・エドワールは、ミシュラン社が自社ブースの入り口にタイヤを高く積み上げた展示を見て、ユニークなアイデアを思いつきました。「手足をつけたら人間に見えるじゃないか」!
1894年、リヨンで開催された万国博覧会でタイヤの山を目の前にしたミシュラン兄弟。
そんな「タイヤ人間」が初めてミシュランの広告グラフィックに登場したのは1898年のことでした。ある日、兄のアンドレは、広告デザイナーのオ・ギャロがビール会社のために描いたものの不採用になったデッサンを見つけました。そこに描かれていたのはビールを飲み干そうとする太った男と、古代ローマの詩人・ホラティウスの作品から引用した「Nunc est Bibendum(ヌンク・エスト・ビバンダム=今こそ飲み干す時)」というラテン語のキャッチコピー。この太った男はエドワールが着想した「タイヤ人間」、そしてジョッキの中にあるのはガラスや釘などの障害物。空気入りタイヤはショックを吸収して障害物を飲み干す──。エドワールの鋭い観察眼、アンドレのひらめき、そしてオ・ギャロのクロッキー(速写画)の運命的な出会いにより生まれたビバンダムことミシュランマン。1898年6月に開催された世界初の国際自動車見本市、パリサロンでは、ビバンダムを描いた広告グラフィックがチュイルリー庭園をぐるりと囲むとともに円盤蓄音器からあたかも生きているかのような彼の声が流れたことで、その存在が広く知れ渡るようになりました。こうして「Bibendum(飲み干す)」のフレーズとともにミシュランの名は世に広まり、ポスターに描かれた“タイヤ男”はビバンダムと呼ばれるようになります。
1898年オ・ギャロによるミシュラン社の初期のポスター
「ビブ」の愛称で現在も親しまれているミシュランマンの誕生当時、自動車は富裕層だけの持ち物でタイヤも高級品でした。当時の上流階級の人たちは、丸眼鏡をかけ葉巻を吸いワインを飲んでいたので、当時のミシュランマンにもその姿が反映されていました。その後ミシュランマンの姿は愛くるしいものへと段階的に変わっていきます。その変化は、いつの時代も、ミシュランマンがドライバーに寄り添う存在でいることの証しなのです。
文/ヤマダマサノリ 編集/佐野未代子(Condé Nast Creative Studio)
1 ミシュラン社の誕生
1889年、ミシュラン創業。タイヤの未来はゴムボールから生まれた
2 脱着可能な空気入りタイヤの誕生
1891年、ミシュランタイヤの名を広めた自転車用タイヤ
3 世界初の自動車レース
1895年、エクレール号が証明した空気入りタイヤの未来