
ミシュランの歴史 EPISODE.02
1891年、ミシュランタイヤの名を広めた自転車用タイヤ

サイクリストを助けるミシュランマン
1889年のある春の日。一人のサイクリストが「自転車のタイヤがパンクしたのでなんとかならないか」とミシュラン を訪ねてきました。芯までゴムを詰めたソリッドタイヤが主流だった当時、持ち込まれたのは最新の「空気入りゴム製チューブ」の自転車用タイヤでした。
ソリッドタイヤに比べて格段に乗り心地がいいものの、当時の空気入り自転車用タイヤは、木製のリムにしっかり糊付けされていて取り外しができなかったため、修理に3時間、リムへ再接着して乾かすのに一晩かかってしまいました。。
しかしその乗り心地の良さに感動したミシュラン兄弟の弟・エドワールは、より扱いやすい空気入り自転車用タイヤの開発に着手します。そして、15分で交換が可能なタイヤを完成させました。

「ル・プティ・ジュルナル」グラビア付録表紙のシャルル・テロン
この研究の達成には2年の月日を要し、「デモンターブル」と名づけた脱着可能な空気入り自転車用タイヤが誕生したのは1891年のことでした。それはかの有名なパリ - ブレスト往復自転車レース(1,200㎞)の、わずか24日前のことでした。
「デモンターブル」の特許を申請したミシュラン兄弟はこの自転車レースにエントリーするものの、まだ、この当時には実績のない、取り外しのきくタイヤで出場する選手など、なかなかいません。やっと名乗りでてくれた選手は、レーサーとしてのピークを過ぎたシャルル・テロンただ一人でした。

取り外しのきくミシュランの「デモンターブル」を装着した自転車に乗るシャルル・テロン
ところがテロンは、2位の選手に9時間(8時間58分)もの大差をつけて圧勝。この出来事が新聞の一面を飾り、ミシュランタイヤの名は一気に知れ渡ることになったのです。
「パリ・ブレスト間往復レース」の3ヵ月後、ミシュランは「デモンターブル」をさらに進化させました。わずか2分弱で取り付けできるまでになったのです。
ソリッドタイヤに比べて空気入りタイヤの欠点は、パンクすることでした。しかし、ミシュランは、自転車用タイヤのパンクはささいな事故に過ぎず、脱着可能なタイヤの修理がどれほど簡単か、また、それがどれほど重要かをアピールするため、1892年のミシュラン主催のパリ・クレルモン=フェラン自転車レースでは、道路にわざと釘を撒くというユニークな試みを行っていました。そして空気入りタイヤの利便性や性能の良さが広く知られ、現在に至るタイヤの歴史に新たな1ページを刻むことになったのです。

パリ-クレルモンフェランのレースでタイヤを修復しているエドアール・ミシュラン(中央)
文/ヤマダマサノリ 編集/佐野未代子(Condé Nast Creative Studio)

1 ミシュラン社の誕生
1889年、ミシュラン創業。タイヤの未来はゴムボールから生まれた

3 世界初の自動車レース
1895年、エクレール号が証明した空気入りタイヤの未来

4 ミシュランマン誕生
1898年、世界最古のユニークな企業キャラクターが誕生